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建学の精神・教育目標・教育方針

建学の精神

 

「生気あふれる開拓者精神」

本学の建学の精神は「生気あふれる開拓者精神」というものです。

建学の精神とは、大学を創造していく上での基本理念、中心的な志であり、本学はこの理念の実現をめざして、創立以来弛まぬ努力を続けてまいりました。この本学の拠り所であり、最高目標である「生気あふれる開拓者精神」とは何か、その具体的なイメージについて、ある歴史上の人物の足跡に即して説明したいと思います。

その人物とは、「関 寛斉」という人物です。

「我が身をば焼くな埋めむなそのままに斗満の原の草木肥やせよ」という辞世の句を残しました。この歌の中の斗満(トマム)というのは、現在の北海道・陸別というところです。

関 寛斎という人は、1830年(天保元)に千葉の農民の子として生まれ、長じて医師となり、やがて長崎に遊学して西洋医学を学び、江戸末期の医学の最先端をゆく医師の一人となりました。

その後、御殿医として阿波徳島藩に出仕し、武士身分となりました。明治の戊辰戦争のときには、請われて官軍方の野戦病院長となって各地を転戦し、野戦病院というものの原型をつくりあげ、めざましい働きをしましたが、戦争が終結すると、世俗的な栄達を求めず徳島に帰り、やがては自ら士族としての身分も捨てて、一介の町医者となりました。そこでは質素、倹約を重んじ、貧者には無料で医療を施し、土地の人々を助けて生活しました。医師としての輝くばかりの名誉への道をあっさりと捨て去ったのも、寛斎という人の出所進退に対する見事さでした。

そして、1902年(明治35)、72歳にして、周到な準備を整え、前人未到の未開地・斗満の開拓に乗り出したのです。開拓の困難は、言語を絶するものでした。今日でも、陸別は北海道有数の厳寒の地として知られます。

関 寛斎という明治初期の日本では屈指の医師が、それも72歳という年齢になってから、なぜ北海道でも最も条件の悪い斗満の開拓を志したのか。

寛斎という人は、生涯チャレンジ精神を失わない人でした。この人の生涯を特徴づけているものは、目標に向かってひたむきにチャレンジを継続するという気概です。

斗満の開拓は、我利を求めず条件の悪いところにこそチャレンジしていく寛斎の生きざまの結晶そのものにほかなりません。

本学の「生気あふれる開拓者精神」という建学の精神は、たとえて言うならば、この関 寛斎という82歳で陸別の地に殉じていった人物のチャレンジ精神そのものである、と言うことができると思います。

本学の学生は、この「生気あふれる開拓者精神」という熱き志を4年間または2年間の大学生活の中で培っていくことになります。勉強にあるいは課外活動に常に積極的に、主体的にチャレンジしていく姿勢を大切にしてほしい。学生こそが大学の主役だからです。人生のなかで最も美しく溌剌としたこの瞬間に、多くの素晴らしい体験をしていただきたいと願ってやみません。

教育目標・教育方針

本学は建学の精神「生気あふれる開拓者精神」のもと、次の3つの教育目標とそれに連なる5つの教育方針を掲げ、教育改革、研究活動や社会貢献の推進、学生サービスの向上を目指しています。

教育目標

「生気あふれる人間」の育成

「知性豊かな人間」の育成

「信頼される人間」の育成

教育方針

  1. 北海道から世界へはばたく、視野の広い人間を育てます。
  2. 個性をみがき、夢の実現を目指す人間を育てます。
  3. 幅広い教養をもち、人生を豊かにできる人間を育てます。
  4. 地域を愛し、社会貢献の意欲に富んだ人間を育てます。
  5. 環境に配慮し、未来に責任をもつ人間を育てます。