子供は、学んで変わるものである。今の社会、特に今の学校社会では、物を学んで変わるという楽しみを与えていないと思う。知識を記憶することは、集中的にエネルギッシュにやっても、その知識を使って、どう生きるのか、そしてどう変わっていくのかという肝心な部分をスポイトする。学びたがっているのに、学校では学べないとしたら、子供ははみ出していくしかないわけであるというのが著者の言い分である。
学校教育の問題を取り上げながらも、先に書かれた『兎の目』や『砂場の少年』のような直接的な鋭さではない。主人公の倫太郎は、年少組なのに年長組の子を泣かせたり、突拍子もないいたずらを考えついたりと、とんでもない悪ガキに見えるが、実は繊細な心とさりげないやさしさを合わせ持っている。このような倫太郎が、どう学び成長して行くのか、そして倫太郎の周りの大人は、どう対応して行くのかを丁寧に取り上げ、その中で社会や学校社会の問題を焙り出そうとしている作品である。
幼い倫太郎に人や物との繋がりの大切さや、心の目で見るということなどを哲学的とも言える言葉で話して聞かせた倫太郎の祖父。共に成長しようという心で、子供に添いたいという保育園の園長や保母、あんちゃん(園長の弟で、倫太郎達の少林寺拳法の師)たちとの深い繋がり。保育園時代は、倫太郎が悪さをしたとき、お仕置きをする役であったあんちゃんは、ずっと友達として接している。ともすれば、暴走しかねない倫太郎たちに、少林寺拳法をとおして、技と心の大切さをあんちゃん流に説く。
納得の行かないことには、相手が誰であろうと断固として反抗する倫太郎たちは、中学入学早々から、管理主義で暴力的な教師と対立。また非行少年と目されている上級生の暴力など、彼らがいう苦難が始まる。
今の学校社会では、とかくはみだしてしまう倫太郎たちであるが、本も読み、いろいろな友達を持ち、物の考え方や見方が、群をぬいているのである。また鋭い感受性の持ち主で、大人のごまかしなどすぐに見破ってしまう。このような少年たちと付き合うとしたら、大人も相当なエネルギーを必要とし、学ばされるであろう。しかし、充分に魅力的な少年たちなのである。
主人公倫太郎は、まだ中学1年生、これからどう成長して行くのか? (森高 美智子)
幼年編T・U(初出、読売新聞朝刊連載1994.9.6〜1995.8.30)、少年編T(初出、小説新潮臨時増刊号1997.7)・少年編U、成長編T・Uの6巻まで刊行
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